失われた時を求めて ー靴を磨いていた時間ー

失われた時を求めて ー靴を磨いていた時間ー

磨き終わった靴たち

靴のホコリに気づく

今朝は黒のスタンスミスで家を出た。

駅に向かう途中、スタンスミスが埃だらけで白くなっていることに気づく。一昨日、風が強い河川敷を歩いて帰ったためだろう。

昔は靴に埃がかぶっていることに気づかないなどということはなかった。
なぜなら、昔は革靴を履いていたから。履いた革靴はその日のうちに磨いていたから。そして、靴にもっと気を遣っていたから。

靴との付き合いは長い

高校時代に買ったサドルシューズに始まり、30年ぐらいは革靴中心の生活だった。

いろいろな形、色、革の革靴を持っていた。履くことが好きなのはもちろんであるが、磨くのが好きだった。

埃や汚れを落として、新しいクリームを塗って、ブラシで磨く。この工程が好きだった。皮クリームの匂いも好きだったし、ブラシをかけた後の艶が好きだった。

もっと言うと、靴磨きの道具も好きだった。靴クリームもいろんなメーカーを使った。

履かなくなった革靴は埃をかからないように収納している。靴磨きセットもそのまま残してある。どちらも、ほとんど開けることがない。

開けるのは、冠婚葬祭で黒のプレーントゥを履くときぐらいだ。

靴磨きに使っていた時間

さて、私の生活から失われた時間、「靴磨きタイム」はどれくらいかかっていたのか?

計算してみる
1足にかかる時間は15分ぐらい。週6日は磨いていた。
15分×6日=90分/週。
90分/週×52週/年=4,680分(78時間)/年
78時間/年÷8,760時間/年=0.89%

年間78時間(1年の総時間のうち0.89%)

失われた靴磨きの時間

現在、この時間が余っているとは思えない。
革靴に代わって台頭してきたのはスニーカー。
しかし、スニーカーにかける時間には置き換わってはいない。
なぜなら、スニーカーはほとんどメンテナンスしていないから。

一体、この78時間はどこに行ってしまったのだろうか。行方不明である。
きっと、生活の変化で行方不明になっている時間はいろいろあるだろうな。

失われたのは時間だけではない

時間について考えてみたが、もっと気になっていることがある。それは、靴磨きの際に感じていた充実感と靴への愛着である。

靴を磨いていくと靴はどんどんキレイになっていく。その過程を見ていると充実感が得られる。そして、最後に磨き上がった靴を見ると達成感を感じる。こういった充実感、達成感は靴を磨く大きなモチベーションだった。

もう一つ、靴への愛着がある。靴は誰のものでもないものとして作られるが、誰かが買った時点でその人の靴になる。一般的に、靴への満足感は、買った瞬間もしくは初めて履いて出かける瞬間がピークのような気がする。しかし、革靴を磨き続けていた私は磨けば磨くほど、その靴への愛着がまし、どんどん満足感は高まっていった。

今、スニーカー中心の生活では買った瞬間の高揚感がピークだと思う。履き古していくと、薄汚れて、形が崩れていく。革靴のように買った時の雰囲気のままで履き続けるのは難しい。ある意味、愛着を持ち続けることは難しい。

靴を磨いていた時の充実感、達成感、靴に対して抱いていた愛着、これらのものをどこかに消えてしまったものだと思わざるを得ない。

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